世に出なかった試作の話|3人のデザイナーの意見が割れたとき

作業机のいちばん下の引き出しを開けると、アルミの塊がいくつも転がっています。どれもシフトノブの形をしていますが、商品ページには一つも載っていません。表面が仕上げられていないもの、途中まで削って止めたもの、木を嵌める穴だけ開いて放置されたもの。手に取ると、それぞれに握った記憶が残っています。
お客様から「新しい形はいつ出ますか」と聞かれることがあります。その質問への正直な答えは、「出せる形になるまで、引き出しに入る数のほうが多いんです」です。作った数と出した数は、まったく釣り合っていません。ただ、これは失敗の山という意味ではなくて、削って握ってみないと分からないことが多すぎる、というだけの話です。
この記事では、世に出さなかった試作の話を書きます。スケッチの段階では良かったのに握った瞬間に消える案があること、3人で意見が割れたときにどう決めているか、「かっこいい」と「使える」がぶつかる具体的な場所、落とした理由を書き残しておくことの効き目、そして量産の現場でボツになる案と自社ブランドでボツにする案とで基準がどう違うか。開発の裏側というより、判断の裏側の話です。
引き出しに残る、売り物にならなかった削り出しの束
試作が引き出しに入る理由は、大きく三つに分かれます。
ひとつめは、形として成立していなかったもの。スケッチや画面では成立していたのに、立体にすると面が破綻している。これは削って初めて分かります。ふたつめは、形は良いが、握ると良くないもの。これが最も多い。みっつめは、良いのだけれど、既にあるものと近すぎるもの。これは形の良し悪しではなく、並べたときの判断です。
捨てないのは、後で効くからです。同じ悩みに数か月後にまた行き当たったとき、当時の塊を握り直すと、判断が一瞬で戻ってきます。写真では戻りません。データでも戻りません。手が覚えているものは、物がないと呼び出せないのです。量産の現場でも、クレイモデルの一部だけを切り取って保管することがありました。同じ理屈です。
数について正直に書くと、引き出しの中の塊は、商品ページに並んでいる本数よりずっと多い、という言い方しかできません。正確に数えたことがないからです。数えていないのは、数えると「出す率」を上げたくなるからだと思います。出す率を上げようとした瞬間に、迷った案を出すようになる。だから数えていません。
スケッチでは良かったのに、握った瞬間に消える案がある
これは、シフトノブという部品に特有の難しさだと思います。車のスケッチなら、良し悪しは目で判断できます。シフトノブは、目で判断した後に手で否決されることがある。
典型的なのは、上から見た輪郭が美しい案です。真上から見た丸みや、くびれの入り方が気持ちよく描けている。ところが握ると、その美しい輪郭を作っていた曲率の変化が、手のひらの真ん中に段差として当たる。目には滑らかに見える面の変化が、皮膚には変化として伝わってしまう。目の分解能と、手のひらの分解能は違うということです。手のほうが細かい。
もうひとつは、置いたときの姿勢が良い案です。机の上に立てて眺めると堂々としているのに、車の中でレバーの角度に付けると印象が変わる。シフトレバーは垂直ではなく手前に傾いていて、しかも1速と5速では傾きが違う。単体で完成している形ほど、傾けたときに崩れやすいという傾向があります。逆に、単体では素っ気ない形が、付けると急に落ち着くことがある。
だから私たちは、必ず削ってから決めます。工程の全体像は1本のシフトノブができるまでに書きましたが、あの往復の回数が多いのは、この「握って消える」を潰していく作業に時間がかかるからです。
ちなみに、この「握って消える」は、他人の意見では代替できません。試作を人に渡して感想を聞くと、たいてい褒めてもらえます。褒めてもらえるのは、その人が数秒しか握らないからです。数秒の評価と、毎日の評価はまったく別物で、私たちが知りたいのは後者のほうです。だから、自分たちで数日握るしかない。
3人で意見が割れたときの決め方——多数決にしない理由
私たちは3人です。奇数なので、多数決をすれば必ず決まります。それでも、多数決はしません。
理由は単純で、2対1で決めた形は、たいてい良くならないからです。量産の現場で数十人の合議を経験してきた実感でもあります。多数側の2人は「良い」で一致しているように見えて、実は違う理由で良いと言っていることがある。少数側の1人が言葉にできていない違和感は、たいてい後から効いてきます。数で押し切ると、その違和感は解消されないまま製品に残ります。
代わりにやっているのは、次の順序です。
- 反対している人に、まず形を触ってもらいながら喋ってもらう。言葉が出ないうちは判断しません。「なんとなく嫌」は情報が少なすぎるので、どこを触ったときにそう思うかまで下ろします。
- 反対の中身を、好みか課題かに分ける。「自分は丸いのが好きではない」は好みです。「ここに指が引っかかる」は課題です。好みなら通します。課題なら直します。この切り分けだけで、議論の8割は片付きます。
- それでも割れたら、両方削る。言葉で決着しないものは、物で決着させます。2案を実際に削って、数日置いてから握り直す。だいたい、片方が消えます。
- それでも決まらなければ、出さない。3人が納得していない形を出すと、後で誰も責任を持てなくなります。
手間はかかります。ただ、3人という人数だからこの手間が成立している、という自覚もあります。数十人ではこの進め方はできません。
「かっこいい」と「使える」がぶつかる三か所
意見が割れる場所は、驚くほど決まっています。ほぼこの三つです。
角
削り出しは型を使わないので、角を立てたまま残せます。写真では、この立った角が効きます。ところが、手のひらの同じ場所に毎回当たる角は、数日で気になり始める。「一度握って良い」と「毎日握って良い」は違うという、いちばん基本的な対立がここに出ます。丸めれば快適になり、写真の説得力は下がる。落としどころは形ごとに違い、毎回もめます。
稜線
面と面が出会う線をどこまで見せるか。稜線がはっきりしているほど、形の意図は伝わります。ただ、稜線は光を集めるので、内装の中で一本だけ強く光ることがある。運転中に視界の端で光る線は、思ったより気になります。この判断は、机の上ではできません。車に載せて、昼と夜の両方で見る必要があります。
径
太いほうが握りやすい人と、細いほうが操作しやすい人がいて、ここは体格の差がそのまま出ます。3人でも手の大きさは違うので、全員が同じ評価をすることはまずありません。S18 ズミノブ(¥5,800)は、無駄を削ぎ落としたスリムなフォルムを採ったモデルで、素材はアルミニウム合金、色はシルバー、重さは165g。細いのに重さがあるのは中まで詰まっているからで、この「細くて重い」という組み合わせに落ち着くまでには、太さ違いの試作が何本か引き出しに入りました。
反対側の答えがS26 コブノブ(¥5,800)です。手のひらに自然と収まる独特のフォルムで、素材はアルミニウム合金、色はシルバー、重さは150g。細さで操作性を取るズミノブと、面積で安心感を取るコブノブは、同じ議論の両端に立っています。割れた意見のどちらかを捨てず、両方を製品にした例とも言えます。他の形はシフトノブの一覧で見比べてみてください。
もうひとつ、割れやすい場所があります。重さです。ただ、重さは角や稜線と違って数字で言えるので、議論は比較的短く済みます。軽いほうが節度のある動きになり、重いほうが吸い込まれるような動きになる。どちらが良いかは車と好みで変わるので、私たちは形ごとに重さを揃えようとしないことにしました。同じシリーズでも重さが違うのは、そのためです。
落とした理由を書き残すと、次の設計で効く
試作を捨てないのと同じくらい大事なのが、落とした理由を書き残すことです。物だけ残しても、なぜ落としたかは半年で忘れます。
書き方は簡単で、付箋一枚に「どこが」「どう感じたか」を書いて、その塊と一緒に引き出しに入れるだけです。「頂点が尖りすぎ、親指の付け根が痛い」「首が長い、1速で手首が返る」。評価ではなく、動作と部位で書くのがコツです。「イマイチ」とだけ書いた付箋は、後で読んでも何の役にも立ちませんでした。
この記録が効くのは、新しい案を検討している最中ではなく、その案が良く見えてきたときです。良く見えてきた案には、過去に落とした案と同じ弱点が潜んでいることがある。引き出しを開けて、似た形の付箋を読むと、「ああ、これは前にここで駄目だったやつだ」と気づけます。設計の記憶は、想像しているよりずっと短命です。
量産のボツと、自社ブランドのボツは基準が違う
ここが、独立して最も驚いた部分です。落ちる理由の種類が、まるで変わりました。
| 量産車の開発 | 自社ブランド | |
|---|---|---|
| 決める人数 | 数十人の合議 | 3人 |
| 落ちる主な理由 | コスト、型の制約、法規、他部署との整合 | 握って納得できない |
| 結論が出るまで | 長い。日程が先に決まっている | 短い。ただし何度でもやり直す |
| 落とした理由の残り方 | 議事録として残る | 意識して書かないと消える |
| いちばん怖いこと | 後工程で戻される | 誰にも止められない |
表のいちばん下が本音です。量産では、良くない案は必ず誰かに止められました。数十人の目があるということは、鬱陶しくもありますが、安全網でもあった。自社ブランドには、その網がありません。3人が揃って良いと思ってしまえば、そのまま製品になります。速く決められることと、間違いに気づけることは、別のことだと痛感しました。
だから、決めた後に必ず数日空けます。空けてから握って、まだ良いと思えるかを見る。この「翌朝もう一度見る」という手順だけは、量産の頃から変えていません。デザイナーが自分の車をどう選ぶかという話はカーデザイナーの愛車選びにも書きましたが、判断を寝かせる癖は、そのあたりから来ています。
そして、出さなかった形が別のところで生き残ることがあります。S07 サンダルウッドボール(黒)(¥5,800)は、素材がアルミニウム合金とサンダルウッド(白檀)、色は黒、重さは110g、ノブ本体ネジは M18×P1.5。木と金属の境目をどう見せるかは、木を使わない案を検討していた時期に何度も削った部分で、その時の判断がそのまま残っています。ボツになるのは形の全体であって、部分ではない。引き出しの塊は、部品取りのように使われて、少しずつ製品に混ざっていきます。
まとめ
世に出なかった試作から学んだことを、手順の形にまとめます。
- スケッチと画面で良くても、削って握るまで判断しない。目より手のほうが細かい段差を拾う
- 単体で完成している形ほど、レバーの傾きに付けたときに崩れやすい
- 意見が割れたら多数決にしない。反対の中身を「好み」と「課題」に分ける
- 好みなら通し、課題なら直す。それでも割れたら両方削って、数日置いてから握り直す
- 3人が納得していない形は出さない
- 落とした試作は捨てず、「どこが・どう感じたか」を付箋に書いて一緒にしまう
- 決めた後は数日空け、翌朝もう一度握ってから先へ進む
引き出しの中の塊は、これからも増えていきます。増えた分だけ、出す一本の理由がはっきりしてくる——そう思うことにしています。
FEATURED IN THIS ARTICLE
この記事で紹介した商品
関連記事








